千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべしー新約聖書

日野原重明さんの「思うままに生きる・100歳の言葉」PHP
プロジェクトXリーダーたちの言葉 今井彰 文藝春秋を読み直した。

タイトルの新約聖書の言葉は、ドフトエススキーの「カラマーゾフの兄弟」の巻頭に引かれた言葉で、日野原重明さん(聖路加病院名誉院長・内科医で2017年7月・105歳で逝去)は、その一節を印象深く読んだという。

読んだ場所は、1970年(昭和45年)3月、赤軍派にハイジャックされた日航機「よど号」の機中で、生死が不確かな状況の中で当時、58歳の日野原さんは心に誓ったという。

「業績をあげて有名な医師になる。そういう生き方はもうやめた。生かされてある身は自分以外のことにささげよう」と。

そして、「生涯現役の医師」として、健康で豊かな老いのあるべき姿を体現し続けた。

創(はじ)めることは、未来に花を咲かせることだ。

2000年(平成12年)9月には、75歳以上で元気な方に呼びかけて「新老人の会」を発足させました。そこで3つの提唱をしました。

1.愛し愛されること。 2.創めること。 3.耐えること。
60歳からではなく、75歳から何か新しいことを始めようとスローガンにしたのです。

日野原さんは、還暦を迎えたとき、哲学者マルティン・ブーバーの「かくれた神」の一節を読んでハッとしたそうです。
「人ははじめることを忘れなければ、いつまでも若く、老いることも楽しからずや」

日野原さんは、医学分野以外にも様々な活躍をされているが、その中でも私が印象深いのは、78歳の時から始めた「いのちの大切さ」を伝えるために全国の小学校に出向き実施する「いのちの授業」は、全国で200校以上の小学校で実施されている。

そして「命は私に与えられた時間です。それを何のために使うか。もし、助けを求めている者のために有効に使うのなら、自分たちの生き方は、これからの時代を生きる子供たちの手本になる」と多くの人たちに語りかけた。