千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

般若心経に学ぶ人生。

鹿野山での座禅体験と写経

人が生きている限りは、避けることのできない、この世での人間の苦悩「生老病死

前回のブログでそんなことを書いた折、先日、「鹿園(ろくおん)」の秋号が自宅へ郵送されてきた。

この小冊子は、以前、私が鹿野山禅青少年研修所で日曜座禅をした時以来、定期的に自宅に送られてきている。
秋号の表紙のことばは「苦難も悲嘆も味わう心になれば、人生を豊かに過ごすことができる」川口鳳天さんのことばがあった。
鹿野山での日曜座禅では、座禅が終了すると「般若心経」の書写・写経があった。

最近、様々なことを真剣に考えることがあった。そんな時だから、改めて般若心経を読んでみようと思った。しかし、以前、読んだ「般若心経」の本は、何を書いてあるのかよくわからなかった記憶がある。

「子どもにおくる般若心経」新井満

そこで、「子どもにおくる般若心経」新井満 朝日新聞出版を読んでみた。

新井さんは、あとがきで「般若心経」とはなにかについて、次のように書いている。
*死*を通して*生*の意味をぎりぎりまで追求した*いのち*の哲学。それは、人類が到達した最高の知恵と言ってもよいでしょう。と。

この本では、仏陀が数百人の弟子に質問をするところから始まる。
「どうしたら幸せに生きられるか」「幸せに生きるための、悟りや知恵とは何か」などを。その答えを、仏陀の代わりに観音様が弟子たちに教える。

「般若心経」の根幹をなすのは、*空*の哲学。
万物は空である。その意味は万物は変化する。(五蘊皆空)

そして形あるものは、全て、変化した結果、亡びる。(色即是空
形あるものは全て、変化した結果うまれる、あるいは再生する。(空即是色)

世の中には、次々生まれてくるものがある。それらは変化し、さらに変化を重ねながら全てが亡んでしまう。一つの例外もなく亡ぶ。
しかし、亡び、無に帰るが無も、*空*。変化しこの世に存在する形あるものは、全てそこから生まれてくる。

変化し、亡び、変化し、再生する。万物は変化する。

「奇蹟」「感謝」「役割」3つの言葉の意味を考える

「私たちの命は、意味もなく生じてきたわけではない。この世に生まれてくるには、無数の因と縁が必要。私たちの父と母。私たちの身体の中には、多くの父と母がいる。その父と母にもまた、父と母がいる。」

「そのように20代前までさかのぼると、私たちにつながる父と母は、いったい何人になるのか。百万人を超える。無数の命が寄り集まって、私たちの命をなしている。」

「その中の、わずか一つの命が欠けたとしても、私たちの命は成り立たない。無数の命が寄り集まって産んでくれた奇蹟のような存在でもある。」

「だから、まずはその奇蹟に感謝しようではないか。そして、なぜ、この世に生まれてきたのか、その意味を考えようではないか。」

「それは役割を果たす為。あなたでなければ果たせない、あなただけの役割を果たす為に、この世に生まれてきた。それを忘れてはいけない。奇蹟のような命に感謝しながら、自分の役割を果たしなさい」と。

作者は助産婦であった母のことを書いている。母は、よく言っていたそうだ。

「どんな赤ちゃんにも役割があって、天才には天才なりの、凡人には凡人なりの障害のある人には障害のある人なりの、役割がきっとあってさ、きっとあったからこそ、この世にオギャーッといって生まれてきたんだわさ・・・」と。

観音様から私への助言

観音様は私に言ってくれているような気がする。次のように。
「これから何が生じるのか思い悩んだり、起こってしまったことを悔やんだりするのは、ばかばかしいことだとは思わないかい?。」

「そのようなこだわりは、捨てなさい。そして何が生じてこようとも、出来る限りの努力をした後は、全てを天にまかせ、あるがままを受け入れなさい。」