千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

被曝者の思いよ届け!平和の女神に。

ちちをかえせ
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの
にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ 峠三吉

 峠三吉さんは28歳の時、被爆し,戦後、原爆反対、平和擁護の作品を数多く発表しました。この詩は原爆詩集の中の作品。

自分が中学生の頃、東京で原爆被災の展示会があった。

展示物の中に「飴細工のようになった茶色のビール瓶、アルミと思われる溶けた弁当箱」などが展示されていた。多くの人間が悲惨な最期を迎えた時間がそこにあった。
今でもその光景を鮮明に思い出す。

峠三吉さんは、平和運動の先頭に立つが、36歳でその生涯を終えた。

核兵器廃絶を訴え続けた坪井直(つぼいすなお)さん

先月、24日。坪井さんが死去された。96歳。
20歳の時、通学途中で被爆。全身に大やけどを負い、生死の境をさまよった。
その後、中学の教師となり、生徒に被爆体験を語った。

退職後、60歳を過ぎてから本格的に被爆者支援活動を開始。「被爆ヒロシマの顔」として、廃絶運動を先導した。

2016年5月、現職のアメリカ大統領が初めて被爆地を訪問したとき、被爆者代表の一人として平和記念公園オバマ大統領と面会。

握手を交わし、核兵器廃絶に向けて「ともに頑張ろう」と話しかけた。

坪井さんは被爆後、母によって救い出されたが40日間も意識不明だった。そして1年間、歩くことさえできなかった。

死が身近に迫り、死を徹底的に考えた。坪井さんの言葉

(WEB特集 坪井直さんに教えられたことから引用)

「隣近所の人が、原爆で死んでいく。(被爆後)あの1年の人間の死に方はすごいじゃけね。もう戦争は、終わっとるんで。それであってもね、死をね、先に考える」

「私はね、痛みつけられて生きてきましたよ。それでも、素晴らしかったと思うんですよ。死ぬる時は素晴らしかったなあって死にたいな」

被爆者としては、原爆投下は人類の間違ったことの一つじゃと。それを乗り越えて、我々は未来に行かにゃいけん」

日常生活の中で私たちは、戦争は身近なものではなく、いつも、毎日、平和な生活が送られていくと思って過ごしている。明日も、明後日も、1年後も。

平凡な日々を送れることは、多くの人の犠牲や努力があって、もたらされている。
このような機会に、戦争や平和を考えられたことに感謝したい。

坪井直先生、ありがとうございました。