千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

当たり前の日常 偶然の産物

 新型コロナウイルスの猛威は更に勢いを増して、31日現在で世界で80万人を超え、日本においてもクルーズ船を除く国内感染者は2000人を超えた。そんな中、新型コロナ闘病中の志村けんさんが29日、70歳で死去された。あっという間の死であった。
 多くの国民に愛され、お茶の間に笑いを届けてくれた志村さんのご冥福をお祈りしたい。志村さんは、多くの国民にコロナウイルスの脅威を身近なものとしてのメッセージを残していった気がする。
 「他人事じゃないぞ!自分事として考えろよ!他人にも大きな影響があるんだぞ。何をするのが良いのか考えろよ!絶対だぞ!約束だぞ!」とそんなメッセージを。


新型コロナ 予期せぬ出来事に辛抱強く
 今日、4月1日の読売新聞朝刊の文化欄に東京大学教授の納富信留(のうとみ・のぶる)さんのエッセーが出ていたので、概略を記述する。

 今日は昨日と同じようにあり、明日も今日までと同じように過ぎていく。いや、以前よりも現在、現在よりも将来に、もっと繁栄してもっと快適な生活があるはずだ。私たちは、いつも漠然と、だが固くそう信じている。しかし、それが根拠のない思い込みに過ぎないことを、時折突きつけられては呆然と立ちすくむ。普段の風景が異様な相貌で迫る。
 東日本大震災津波が街や野山を飲み込んでいく。それ以上に放射能汚染で無人となった町が以前と変わらず止まっている様に戦慄を覚える。目に見えない死がそこにあるからだ。
 心底からの震えは、私たちが当たり前と思っていた現実が、まったく違っていたと気づくから、いや、なお気づきたくないと怯えるからであろう。さらに恐いのは、私たちの心深くにある見えない闇である。


 私たちはこの世界が分かった気になっている。だが、本当はこれが何なのか、生きるとはどういうことか、私たちはまったく知らない。当然享受すべき日常生活が理不尽に奪われたのではない。当然だと思っていた自然さこそ、途方もなく多くの要素が組み合わされ、万事がうまく動いていた偶然の産物、奇跡なのだ。
 その基盤が、どれほど脆いものであったことか。だが、目の前にある見えない危機は、私たちが当たり前に思っていたことが、文字通り「有り難い」ことだと気づかせてくれる。


 この世界に美しい物語や幸せな結末はおそらくない。日々新たに起こる予期せぬ出来事、人間の小さな頭脳が想定すらしない生起に、その都度冷静に理性的に、辛抱づよく向き合うしかない。