千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

くちなしの花と戦争の悲劇

渡哲也さんが8月10日に肺炎で死去した。享年78歳。
その誠実な人柄と優しさには、多くの人が魅了されてきた。
病に苦しみながらも、そのたびに復活し活躍されてきただけに、残念である。

慈善活動にもせ積極的で小児がん撲滅に力を注ぎ、東日本大震災などの被災地では炊き出しも行ってきた。接してきた多くの人を温かく包み込む大人であった。

ご冥福をお祈りいたします。

渡哲也さんが歌った「くちなしの花」は1973年(昭和48年)8月21日にポリドールから発売され、大ヒットとなった。私も好きな歌である。

「くちなしの花」 作詞 水木かおる 作曲 遠藤実
いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが
旅路のはてまで ついてくる
くちなしの白い花 
おまえのような 花だった

この歌が作られたいきさつについて、遠藤実日本経済新聞の「私の履歴書」の中で、つぎのように書いている。
ポリドールの山口ディレクターから渡哲也さんの曲を書いてほしいという話が来たとき、タイトルだけは「くちなしの花」と決まっていた。


もともと山口さんは著名人に戦没学生の遺書を朗読してもらう企画を進めていた。
その依頼に行った作家の曽野綾子さんに見せられたのが、海軍予備飛行中尉の宅島徳光(のりみつ)さんの遺稿集「くちなしの花」
その中に恋人を思って綴った詩があった。


「俺の言葉に泣いた奴が一人
 俺を恨んでいる奴が一人
 それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
 俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
 みんな併せてたった一人・・・・」

山口さんは、24歳の命を空に散らせた若きパイロットの詩から受けた感動を忘れられなかった。詩からにじみ出る男の強さと優しさ。

そのイメージに近い渡哲也さんの新曲を手がけると決まった時、タイトルは「くちなしの花」しか思いつかなかった。と。

この遺稿集「くちなしの花」がきっかけとなって、この歌は作られたようです。