千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

人間の基本は敬と恥ー新型コロナウイルス対策の政府・国会議員の役割

 「人物を修める」(プレジデント社)での安岡正篤の論説に次の言葉がある。

「人の人たるゆえんは、実は道徳を持っているということです。そしてそれは「敬」するという心と「恥」ずるという心になって現れる。
 敬する心は、人間が限りなく発達を望んで、未完成なものに飽き足らず、より完全で偉大なものに憧れるところから生まれてくる。これは人間独特の真理です。
 そして、敬する心が起こると、必ずそこに恥ずるという心が生まれてくる。敬する心と恥ずる心とは、相対関係のものでありますから、したがって敬を知る人は、必ずよく恥を知る人であり、恥を知る人は必ず敬を知る人である。

 政府は早急に対策を示し、国民に安心感を

 新型コロナウイルスで、世間が大混乱している今こそ、国民の暮らしや生命を守り、安心して生活していけるという大方針を、政府は具体的にわかりやすく、早急に示し、行動すべきではないだろうか。そして、国民に安心感を与えてほしい。
 最も急務である感染予防と国民の生活をどのように守っていくのか。メディアなどからは、様々なニュースが流れてくる。
 医療崩壊が始まっている。現金給付30万円だがほんの一部の人のみの給付。このまま感染対策を何もしないと10万人単位で死亡者が出る。国会議員歳費2割減。特措法は欠陥だらけ。ウイルスとの闘いはこの先、長期間続くなどなど。 

 国会(立法府)で法律を作り、内閣(行政府)が新型コロナウイルス対策を実行し、国民に営業自粛や自由制限などをさせているのだから、早急に対応策をとり、国民の不満を和らげて欲しいものである。

 現下は非常事態宣言下にある。爆弾や銃弾は飛んでこないかもしれないが、ウイルスという目に見えない最強の敵が人類を脅かしているのである。目に見えない敵が、明日にでもわが身に降りかかってくる可能性が高い。
 ワクチンも完全な治療薬も開発されていない現在、このウイルス対策に最も有効な策は、人への感染を防ぐことであり、それは人々の行動制限、行動変容ではないか。
 そのために営業自粛などの要請を行っているのだろうが、政府の対応は目的地がどこかわからない、当てのない鈍行列車のように思える。

 

国民は明日の生活がかかっている。生活が安定している国会議員とは違う!
 明日の生活がかかっているのである。家賃が払えない。パートに出られなくなった。光熱費が払えない。食費にも困るなどなど。歳費2割減でお茶を濁そうとしている国会議員とは、生活レベルには天と地の差がある。
 国会議員は、ほとんど生活に影響がないからそんなことが言える。その立場に立てば、今何を早急にやらなければならないのかは自明の理であろう。国会議員として何をしなければならないのか。恥を知らなければならない。

 国民の意識との差は、富士山と里山の差がある。ここまで政治が劣化してきている。嘆かわしいことである。

 新型コロナウイルス担当の西村大臣の答弁は、政治家ではなくまったく官僚・役人論理での答弁。安倍総理の答弁も同様。麻生副総理・財務大臣の答弁も同様。
 官僚・役人は、出来ない理由を理路整然という。出来ないのではなく、やらないだけだ。どうしたらできるかを指導力を発揮してやらせるのは、政治家の役割。
 それだけ政治が劣化してきている。今何をどのようにやらせるのか。緊急事態下にある現在。政治家としての矜持があるなら、恥をかきたくないのであれば、国民から敬されたいなら、早急に国民の声を政治力として実行したもらいたい。

経済よりも人の命。命があれば経済は復興できる。
 経済よりも人の命。命があれば経済は復興できる。
 財政規律も大事だが、緊急事態下にある現在、今、国民のために、早急に何ができるのか。お金がなければ、日本銀行がヘリコプターマネーとして、借金を増やさずして、紙幣を発行して家計や企業に直接お金を配布すればよいのではないか。
 このヘリコプターマネーには、ハイパーインフレーションなど様々なリスクがあると言われているが、厳正なルールを決めて、今だからこそ実施すべきではないか。紙幣を発行して、この苦境を乗り切るべきではないだろうか。