千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

「いのちと共鳴する絵本」柳田邦男

生老病死。この言葉は仏教用語で、生まれること。老いること。病にかかること。死ぬことの4つの苦を言い表している。この苦は「苦しみ」という意味ではなく、「自分の思うようにならないことの意味」とのこと。

人が生きている限りは、避けることのできない、この世での人間の苦悩のこと。

若いとき、よく考え悩んだ。そして今もふと、考えることがある。人間はなぜ生まれ、どこに帰るのか。人生の目的、生きる意味はなんなのかなどと。

「いのちと共鳴する絵本」で語られた絵本のエピソード

柳田邦男さんは、言う。(以下、「絵本の力」から)
「絵本は簡潔にして、かつもっとも心の奥底にひびく形で、いのちの在り処を表現するジャンルとして現代的な意味を持っていると思うのです。それゆえに私たちが<生と死>の問題や<いのち>の問題を深く考えようとする時に、すばらしい可能性を発揮する分野ではないかと感じています。」

「そんなわけで大人こそ、まさに今、絵本に親しみ、そういう中から自分なりの読み取り方や発見をしていく時間を持つべきではないかと思うのです。」
「いのちと共鳴する絵本」に書かれているエピソード。

エピソード1.子どもへ遺すメッセージ

東京で、まだ若くして乳がんになり、8歳と5歳のお子さんを残して亡くなられた柳澤恵美さんの遺作・絵本「ポケットのなかのプレゼント(柳澤恵美・文 久保田明子・絵 ラ・テール出版局)

「柳澤さんのガンが進行して、あと1年ぐらいしか人生の持ち時間はないだろうとわかった時、自分がこの世に生きた証をどうすればつかめるのか。
そして、子どもたちにどういう形でメッセージを残せば母親としての使命感を果たせるのか、と悩まれた。」

「考えたすえに思いついたのが、絵を描く友達と一緒に絵本をつくることでした。」

「それは、うさぎの村の若い夫婦と子どもの物語。うさぎ村では、赤ちゃんができると、お母さんが子どもにボレロ風のジャケットを手作りで作ってあげて、そのポケットに毎年誕生日にプレゼントをしていく習わしがある。」

「1歳の時は歯ブラシを贈って、虫歯にならないようにしないと健康を損ないますよ、すくすく育つためには歯をしっかり噛んで食べましょうと教えます。」

「2歳になると、タオルをプレゼントして、顔をきれいにしましょう、清潔にしましょうと教える。」

「そうやって毎年、年相応のプレゼントを贈っていきます。5歳になれば5歳なりに知識欲が出て、好奇心も出てくるから、虫メガネをプレゼントして、これでしっかり草花や昆虫などを観察しなさいと教える。」

「やがて10歳になり15歳になり、大きくなっていきますとその年齢に応じて贈り物を考えていく。」

「18歳の誕生日には鉢巻をプレゼントしました。この鉢巻きでうさぎの村にある7つの岩山を全部に自分の力で登りなさいと教えるのです。
7つの岩山とは、勇気の岩山、楽しみの岩山、忍耐の岩山、礼儀の岩山、信念の岩山、信仰の岩山、愛の岩山です。これらの岩山を子どもは立派に登りきります。」

「そして、19歳の誕生日には、今度リュックサックを贈りました。これからはお母さんがプレゼントするものはもうありません。このリュックサックには自分で大事なものを探して自分で詰めていきなさいと教えます。」

柳澤さんのご主人は、開業医。ご主人は言います。
「母親としてまだ8歳、5歳という子を残して旅立つ。子どもたちを成人式まで自分の手で育てることができない。その思い残しをなくすために、子どもたちに身につけてほしいことをこういう形でメッセージとして遺そうとしました。」

「それと同時に自分は一体この世に何を遺せたのか、自分はどのように生きたのか、その証としてこの絵本をつくりたかった。そして、妻は2つの目的を達成したと思います。」

「子どもたちは、絵本をつくっていく過程をずっと見ていましたし、内容もよく理解できたので、母親が旅立つ時には、<お母さん、ありがとう。>と感謝の言葉を言っていました。」

柳田さんは、言います。
「一人の主婦が自らの死という一種の限界状況に直面する中で、心の中から湧き上がってきたやむにやまれぬ心情、それを絵本という形にして子どもに残すメッセージにしたと言うことができると思うのです。」

「情報化時代の中で、ほんとうに魂をゆさぶられるような時間と空間を得られる媒体はなんだろうかというと、最高なものは絵本かもしれない。」

「もちろん音楽とか絵画などの芸術はすばらしいけれど、それと同時に絵本もまたいのちと響きあう表現手段として、これから残していかなければいけないし、いろんな形でどんどん書き継がれていかなければならないものだと思います。」










 

 

 

 

絵本の力

少年の頃、病弱だった。小学校の低学年までは、体育の時間は、よく見学をしていた。
読書を好きになったのは、こんなことが影響しているのかもしれない。
小学校5年の時、父が東京に行った帰りに「勝海舟」の本を買ってきてくれた。本を読んでみたらと。その後、学校の図書室でよく本を借りた。読書カードに本の名前が記載されていくのが楽しみになった。その後も、多くの本を読んできたが、現在では、その機会が少なくなってきた。

定年後、童話を書きたいと考えた時期があった。時間があるので、できるかわからないが、挑戦はしてみたいと思っている。

「絵本の力」河合隻雄 松井直 柳田邦男 岩波書店から

絵本を子どもだけのための書物としてではなく、大人にも深い影響を与える新しいメディアとしてとらえ、絵本がどのように現代の人間の生き方と深くかかわっているかを考える講演と討論の記録である。

著者の一人、柳田邦男さんは、ノンフィクション作家として有名である。柳田さんは、「いのちと共鳴する絵本」として次のように書かれている。

「人は人生の折々に、様々な危機に直面する。そういう試練は、しかし、後になって振り返ってみれば、否定的な面だけではなく、心を耕す何か新しいものを見出す機会だったりすることが少なくないものです。」

柳田さんが厳しい試練に立たされたのは、57歳の時。25歳の次男が長い心の病の末に、自ら命を絶ったのです。自分の生き方がすべて過ちだったように思えて、完全なうつ状態におちいり、何にもできない日が数か月、続きます。

そんな時、書店にふと立ち寄り、気が付いたら柳田さんは、絵本のコーナーの前に立っていた。その中の一冊にくぎ付けになります。
宮沢賢治の「風の又三郎」でした。「風の又三郎」以外にも数冊の絵本を買い、ゆっくりと読んだそうです。

「心がなぜか穏やかに癒されていくのを感じました。絵本一冊一冊の物語に、また、絵や言葉のひとつひとつに、かって読んだ時とは違う深い意味や味わいを見出して、すっかり絵本のとりこになってしまいました。」

「人はせっぱつまった状況に追い込まれたり、大事な人を失ったりしないと、本当に大事なものはなにかに気づかないといわれますが、私が絵本にのめり込んだのも、その時の心境がからんでいたのでしょう。でも、それはありがたいことでした。」

「それから7年になります。その間にずいぶん絵本を読みました。すばらしい発見がたくさんありました。人生後半になって絵本の深い語りかけを再発見したものです。」

「人生後半になってからこそ、絵本をいつも身の回りに置き、じっくりと読むべきという思いです。仕事にあくせくしている中で忘れていた大事なものーユーモア、悲しみ、孤独、支えあい、別れ、死、いのち、といったものがあぶり絵のように浮かび上がってきます。」

「大人が絵本をいつも身の回りに置き、いつも読み親しんでいなくて、どうして子どもに絵本を進めることができるでしょうか。」

柳田邦男さんの講演の記録には、「いのちと共鳴する絵本」として様々な絵本に関するエピソードが書かれているので、次回にまた、書いてみたい。











 

 

 

 

 

 

見えない、聞こえない、話せないという3重苦の中のヘレンケラーの生き方

ある日突然、病に侵され、目が見えず音も聞こえない漆黒の闇の世界になってしまった幼少期のヘレンケラー。まだ、2歳の時であった。
しかし、彼女は、グラハム・ベル博士(電話を発明した人物)や家庭教師のアン・サリヴァンという人たちとの素晴らしい出会いがあり、数々の苦難を乗り越えていく。
そんなヘレンは社会の底辺で苦しんでいる人のために、様々な場面で活躍し、貧困や差別、病気や障害に苦しむ人たちを救済し、生涯教育や福祉の発展に尽力した。
広島、長崎など、日本の地を3回も訪れている。ヘレンは次のように言っている。

「私はどんな状態であれ、自分がいる状態に満足することを学びました。時には孤立感が、まるで冷たい霧のように私を包み込んで、あたかも自分が人生の閉じられた扉の前にただ一人、取り残されたように感じることがあるのは事実です。」

「扉の向こうには、光や音楽や温かい交わりがあるのに、この私は入れないのです。沈黙は私の魂の上に大きくのしかかります。
でも、そのときに希望が微笑みながらやって来て*自分を忘れなさい。自分を忘れることの中に喜びがあるのよ*とささやいてくれるのです。」

「だから、私は他の人の目の中の光を、私の太陽とするのです。他の人の耳に聞こえる音楽を、私の交響曲とするのです。他の人の唇に浮かぶ微笑みを、私の幸福とするのです。」

マイナスや逆境だと思ったことは実はそうではなく、受け取り方次第でプラスにもなっていく。要は物の受け取り方次第なのだと。

一切なりゆき樹木希林のことばー(文春新書)
前回のブログに樹木希林さんの珠玉の言葉を書いたが、続けてみたい。

人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前(「こんなはずじゃなかった」それでこそ人生です。2016年6月)

「人生なんて自分の思い描いたとおりにならなくて当たり前。私自身は、人生を嘆いたり、幸せについて大げさに考えることもないんです。いつも、人生上出来だわ。と思っていて、物事がうまくいかないときは、自分が未熟だったのよ。でおしまい」

「こんなはずでは・・・・というのは、自分が目指していたもの、思い描いていた幸せとは違うから生まれる感情ですよね。でも、その目標が、自分が本当に望んでいるものなのか。他の人の価値観だったり、誰かの人生と比べてただうらやんでいるだけなのではないか。一度、自分を見つめ直してみるといいかもしれません」

「お金や地位や名声もなくて、傍からは地味でつまらない人生に見えたとしても、本人が本当に好きなことができていて、ああ、幸せだなあ。と思っていれば、その人の人生はキラキラ輝いていますよ。」



 

 

 

 

勇気づけられた珠玉の言葉。

 日々の生活を送っていく中で、様々な事柄が自分の身に起こってくるが、それらの事柄も、自分の心の持ち方や考え方で、明るくも暗くもなっていく。
そんなことを強く意識した日々が、最近あった。
人は人のことばから多くの影響を受け、学んでいくのかとも思った。

先日亡くなった、渡哲也さんの言葉。
「思い通りにいかないときこそ、懸命に生きる」という言葉がある。
多くの人たちに伝えていきたい言葉だと思っている。

一切なりゆきー樹木希林のことば(文春新書)

樹木希林さんがなくなってから、この9月で2年になる。
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」この言葉は、希林さんの娘が、葬儀の時に母の言葉として、喪主代理のあいさつの時の言葉である。希林さんらしい言葉ではないかと思っている。

希林さんは、私にとって様々な珠玉な言葉を残している。「一切なりゆきー希林さんのことば」から強く印象に残った言葉を引用してみたい。

「病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう」(「全身がん 自分を使い切って死にたい」2014年5月)

希林さんは乳がんなど様々な病と向き合ってきた。そんな時のことば。

「体調の基本となる血液のめぐりや栄養の吸収などは、私自身がもともと持っている生活習慣や心のあり方と直結していると感じています。心の問題と、医療でつぎはぎしたりして悪いところを取ったりする技術とが融合していかないと、本当の元気は手に入らないのかもしれません。」

「西洋的な二元論の考え方に従えば、病気が悪で、病気でない状態が善。でも、一つのものに表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もあるとわたしは思うんです。そういう東洋的な考え方が自分の体の中に入ってきて、宇宙の大きなものに対して働きかけるような(祈り)という行為に感応していく。それが総体的にひとりの人間となって生き生きしてくるんじゃないかとという感覚なんです。」

「どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることををいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろうと。」

「幸せというのは、常にあるものではなくて、自分で見つけるもの」(「こんなはずじゃなかった」それでこそ人生です。2016年6月」)

「どうやったら他人の価値観に振り回されないか?自立することじゃないでしょうか。自分はどうしたいか、何をするべきか、とにかく自分の頭で考えて自分で動く。時には人に頼るのもいいかもしれないが、誰にも助けを求められないときにどうするかくらいは考えておかないと。」

「もっと言えば、その状況をおもしろがれるようになるといいですね。幸せというのは、常にあるものではなくて、自分で見つけるもの。何でもない日常や、取るに足らないように思える人生も、おもしろがってみると、そこに幸せが見つけられるような気がするのです。」

「一切なりゆきー樹木希林のことば」には「生きること」「家族のこと」「病のこと、カラダのこと」など様々な珠玉の言葉が掲載されている。機会があれば、また書いていきたい。







 

 

 

 

 

くちなしの花と戦争の悲劇

渡哲也さんが8月10日に肺炎で死去した。享年78歳。
その誠実な人柄と優しさには、多くの人が魅了されてきた。
病に苦しみながらも、そのたびに復活し活躍されてきただけに、残念である。

慈善活動にもせ積極的で小児がん撲滅に力を注ぎ、東日本大震災などの被災地では炊き出しも行ってきた。接してきた多くの人を温かく包み込む大人であった。

ご冥福をお祈りいたします。

渡哲也さんが歌った「くちなしの花」は1973年(昭和48年)8月21日にポリドールから発売され、大ヒットとなった。私も好きな歌である。

「くちなしの花」 作詞 水木かおる 作曲 遠藤実
いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが
旅路のはてまで ついてくる
くちなしの白い花 
おまえのような 花だった

この歌が作られたいきさつについて、遠藤実日本経済新聞の「私の履歴書」の中で、つぎのように書いている。
ポリドールの山口ディレクターから渡哲也さんの曲を書いてほしいという話が来たとき、タイトルだけは「くちなしの花」と決まっていた。


もともと山口さんは著名人に戦没学生の遺書を朗読してもらう企画を進めていた。
その依頼に行った作家の曽野綾子さんに見せられたのが、海軍予備飛行中尉の宅島徳光(のりみつ)さんの遺稿集「くちなしの花」
その中に恋人を思って綴った詩があった。


「俺の言葉に泣いた奴が一人
 俺を恨んでいる奴が一人
 それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
 俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
 みんな併せてたった一人・・・・」

山口さんは、24歳の命を空に散らせた若きパイロットの詩から受けた感動を忘れられなかった。詩からにじみ出る男の強さと優しさ。

そのイメージに近い渡哲也さんの新曲を手がけると決まった時、タイトルは「くちなしの花」しか思いつかなかった。と。

この遺稿集「くちなしの花」がきっかけとなって、この歌は作られたようです。
 

 

 

一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべしー新約聖書

日野原重明さんの「思うままに生きる・100歳の言葉」PHP
プロジェクトXリーダーたちの言葉 今井彰 文藝春秋を読み直した。

タイトルの新約聖書の言葉は、ドフトエススキーの「カラマーゾフの兄弟」の巻頭に引かれた言葉で、日野原重明さん(聖路加病院名誉院長・内科医で2017年7月・105歳で逝去)は、その一節を印象深く読んだという。

読んだ場所は、1970年(昭和45年)3月、赤軍派にハイジャックされた日航機「よど号」の機中で、生死が不確かな状況の中で当時、58歳の日野原さんは心に誓ったという。

「業績をあげて有名な医師になる。そういう生き方はもうやめた。生かされてある身は自分以外のことにささげよう」と。

そして、「生涯現役の医師」として、健康で豊かな老いのあるべき姿を体現し続けた。

創(はじ)めることは、未来に花を咲かせることだ。

2000年(平成12年)9月には、75歳以上で元気な方に呼びかけて「新老人の会」を発足させました。そこで3つの提唱をしました。

1.愛し愛されること。 2.創めること。 3.耐えること。
60歳からではなく、75歳から何か新しいことを始めようとスローガンにしたのです。

日野原さんは、還暦を迎えたとき、哲学者マルティン・ブーバーの「かくれた神」の一節を読んでハッとしたそうです。
「人ははじめることを忘れなければ、いつまでも若く、老いることも楽しからずや」

日野原さんは、医学分野以外にも様々な活躍をされているが、その中でも私が印象深いのは、78歳の時から始めた「いのちの大切さ」を伝えるために全国の小学校に出向き実施する「いのちの授業」は、全国で200校以上の小学校で実施されている。

そして「命は私に与えられた時間です。それを何のために使うか。もし、助けを求めている者のために有効に使うのなら、自分たちの生き方は、これからの時代を生きる子供たちの手本になる」と多くの人たちに語りかけた。





 

 

 

 

 

呼吸を変えれば人生が変わる

長寿で活躍されていた著名人の中には、それぞれの呼吸法(深い呼吸や息を吐き切る)を実践している方がおり、それらを勧めています。(「呼吸を変えれば元気で長生き 打越暁 洋泉社から文中引用)

実際の医療現場で、独自の呼吸法や気功、太極拳などを実際に教えている、がん代替療法のパイオニアである帯津良一氏(帯津三敬病院)

心療内科学のパイオニアである元九州大学教授の池見酉次郎氏は、著書の「人間回復の医学」の中で、一つひとつの臓器(西洋医学)を見ていくだけでは見えてこなかった、つながりを意識した医療というものが大変重要であり、体全体を丸ごと見るという視点が大切であるという旨が書かれています。

打越氏は呼吸法は自律神経のバランスを整え、体の血流を良くし、生命のエネルギー、自然治癒力をアップさせ、丸ごとの医療に大変、期待される存在だと言います。

帯津良一氏の「ガンに勝った人たちの死生観」という本には呼吸法を実践してがんから生還した人の体験談(白血病や末期の胃がんを克服した方など)が多く載せられているそうです。

良い呼吸で健康になる。

それでは、具体的に健康に良い呼吸とはどんな呼吸なのでしょうか。

座禅やヨーガなど多くの呼吸法があるようですが、これら多くの呼吸法の基本的なところは、かなり共通しているようです。共通している呼吸法のポイントを以下、まとめてみます。


1.基本の呼吸は鼻呼吸(吐くときは意識的に口を使っても良い)


2.呼息(吐く息)の時間を、吸う時間よりも長くする。吐く息を強く意識した呼吸であること。


3.おなかの動きを意識した呼吸であること(胸が上下した浅い胸式呼吸ではなく、腹式呼吸に重点の置かれた呼吸)

4.ゆったりとしたある一定のリズムで呼吸をすること

5.息まない、力まないこと。


 必ずしもこれら5点に固執する必要はないようです。大事なのは、長く続けていくことだと思います。一日のうち無理せずにできる、自分流の呼吸法を決めて実践してみてはいかがでしょうか。

 

打越氏が「簡単で毎日実践できる呼吸法」として、次のように記述してあります。

1.まず上半身の力を完全に抜きます。下半身はあぐらでも正座でも、椅子に腰かけてもかまいません。手は軽く握ってひざの上に置いておきます。


2.まず息をゆっくり吐きだします(鼻で、もしくは口をすぼめて)吐くときにはおなかをゆっくり引っ込めてすべてを吐き出すようにします。


3.吐き切ったと思ったら、息を鼻からゆっくり吸い込みます。この時、肩が上がらないようにしながらおなかをぐーっと前に突き出すように息を吸い込みます。


4.息を吸い込んだら力まないように息の流れを止め、おなかに溜めるような意識を持ちます。


5.数秒止めて苦しくならないうちに鼻からゆっくり息を吐き出していきます。

 

6.この一連の「吐く、吸う。止める」を10対3対2くらいの割合で、出来るだけ吐く息をゆっくり長くするのがポイントとの記述があります。

ゆっくり、焦らず、少しづつ続けてみたらよいと思います。自分の身体と対話しながら。自分の呼吸法を身に着けてみたらいかがでしょうか。

自分の呼吸法は、上記2.3の順序を逆にして、最初に息を吸い、吐くということをしています。そして5の止めるの後に休息として普通の呼吸を2回程度してから、また、始めています。


そして、常に丹田(おへそと背中を結んだ線上の中心部分より少し下)に意識を置きながら呼吸をしています。
無理しないで、少し休んでいるときでも、リラックスできる音楽を聴きながら。また、お風呂の中でも、歩いているときや車を運転しているときでも「自分なりの呼吸法」を続けています。

それなりの効用はあるのではと思っています。