千恵の眼

自分の人生の中で勇気づけられた言葉や日々の思いなどを綴っていきたい。

コロナ禍の教訓。現在の政府は国民を守ろうとはしない。

 コロナウイルスの威力は、ますます強大化

 コロナ禍での開催に賛否両論あった東京オリンピックは、本日(8月8日)閉会式を迎えた。日本人選手のメダル獲得数は、過去、最高となるようだが、コロナ感染拡大の中では、素直に喜べない。何か心に引っかかるものがある。

 国内のコロナ感染者数は連日、過去最高を更新している。昨年の1月16日に国内で初の感染者が発表されてから本年8月6日には、累計感染者数が100万人を超えた。

 感染者の増加ペースを見ると、初の感染者数から50万人を超えるまでは、約1年3か月(4月9日)だったが、100万人を超えたのは、それからわずか約4か月。コロナウイルスの威力はますます強大化している。(世界の感染者数は、8月8日現在、2億人を超えている)

 オリンピックと感染拡大は直接の関係はないと政府は言うが、直接的にも間接的にも大きな影響があるのではないか。新たな変異ウイルス株の出現や感染拡大につながらないことを祈るだけだ。

国のトップリーダーは国民との信頼を築いてもらいたい。

 政府のコロナ対策は、現在も、迷走に迷走を重ねている。人流を抑制すると言いながら、GoToキャンペーンを推進(補正予算計上)したり、ワクチン接種を推進する中での、ワクチン不足や職域接種での混乱。療養方針(中等症は入院から自宅療養へ)の朝令暮改など、何故もこんなに迷走を重ねているのだろうか。

 経済を振興させることも必要。病床確保も当然、必要。しかし、実施タイミングが悪いし、不足する病床に対してどのように確保していくかの仕組み対策も充分なされていないように感じている。そして、国民に向けてのメッセージや説明が全く不足している。

 何故、この施策をやる必要があるのか。何故、この時期にやる必要があるのか。この施策を実施することにどんな意味があるのか。どんな効果があるのかなどを、国のトップが自らの言葉で、国民に分かるように語りかけなければならない。それが、決定的に不足している。

 政府と国民の信頼が醸成されなければ、どんなことをやっても効果が十分に発揮されないのではないか。

 国民に我慢ばかりをさせているように思えてならない。出口戦略が見えない。こんな状況になったら、このようにします。と大きな目標項目と達成しようとする期間を掲げることが必要ではないか。

 未来予測ができない中で、何が正解かは誰にもわからない。だからこそ、このような未曽有の有事の中でリーダーの責任と覚悟が必要ではないか。

 そして、目標や期間が達成されないと思ったときは、率直に国民にお詫びをすべきではないか。自らの言葉で真摯に。言葉だけの「責任を感じています。」だけではなく。

 誠実に国民に説明し、達成できなかったことに対しては、いつまでに、このようなことを行っていくということを。

 国のリーダーや政治家の役割とは何だろうか。(官僚は自分の仕事の誤りを認めないことが多い。自分たちの仕事は間違いがないと思っている。)


 コロナ禍の中で、国のリーダーとして今、何をすべきなのか。コロナから国民の命を守ることが最優先すべきこと、それにはどうしたら良いのかを考え実行していくのが第一義であろう。しかし、そのようにはどうも思えない。

 どうみても、次の総理大臣(第100代)になるにはどうしたらよいのかで頭が一杯なのではないだろうか。そんなように感じてしまう。どうしたら、総理大臣を続けられるだろうか。と。

 政治に必要なのは国民との信頼

「民信なくば立たず」の言葉がある。論語の中の言葉。

「弟子が孔子に問う。政治に必要なものは何かと。」

孔子が言う。政治に必要なものは、軍備、食糧、民衆の信頼である。その中で最も重要なものは民衆との信頼であると。民衆との信頼がなければ、政治は安定しない」と説いたという。

 今求められるのは、政府と国民の信頼関係ではないか。それが、決定的に足りない。政府がやっていることが信じられない国民が大多数であるような気がする。信頼される政治をしてもらいたい。